カウンセリングを受けることへの偏見

あるイギリズ人の知人と雑談をしているとき、次のような質問を受けました。

「日本って、カウンセリングが浸透していない、行くことに抵抗があるって、(他の)日本人からきいたけど、それって本当?」

 

これは、日本人にとっては、「ああ、わかる」って感じる人も多いのではないでしょうか。

 

―カウンセリングを受けていることを同僚にいえない。

―専門家の助けが必要だけれど、カウンセリングに通っていると人に言ったら、会社での査定にかかわるんじゃないか、自己管理能力が足りないと思われて、昇級できないんじゃないか。

―周りからの「問題がある人」という偏見をうけるんじゃないか。

―「自分のことを自分でできない」と思われるかもしれない。

―専門家の助けを求めないとやっていけない自分を好きになれない

 

 

残念なことだけれど、そのように考える人も多く、それらは個人の生きづらさを助長する、日本人という民族が、歴史的に培ってきた価値観を反映していると思います。ストレスが多い現代において、必要な時に必要なサポートを求めにくいのは、とても、苦しいことだと思います。

 

日本が大好きなその方は、「僕だったら、カウンセリングを受けてるってきいたら、えーすごいって思うけどな」といいました。その方の考えがイギリス一般の考えかはまた別の話ですが、

私とその方との間には、まるでそのような立場に今苦しんでいる日本人を想像して、強い心の痛み、息苦しさや生きづらさを感じ、泣きたくなるような雰囲気が漂いました。

 

 

この状況を変えていくべく、必要な時にカウンセリングを受けるのは

 

―悪いことではないこと

ー必要な時に必要な支援を求めることができるのは、SOSをちゃんと出せる能力(強さ)でもあること

 

 

そのように訴え、社会を変えていこうとする人もいます。

私も同意見です。

ー困った時は、専門家を頼っていいこと

―一人では抱えきれないほどの強い不安、心細さを抱えていることを、周りの人に自由に話せない孤独感が、専門家に話すことで、軽減していくことも多いにあること

 

を伝えたいです。

 

相性のあうカウンセラーのもとで、適切なセラピーをうけることが、人生自体を豊かにしていくこともあります。

 

まるーたでも、人には言えない秘密に苦しんでいる方、孤独に悩んでいる方等、ご相談をお承っています。